みちづれはいても、ひとり 寺地はるな
思っていた女二人たびとはちょっと違うお話でした。そもそも弓子と楓は性格が違うし価値観も違う。学生の時出会っていたら絶対友達になっていないタイプの二人だなと思いました。そんなふたりで旅に出て楽しんか?と思ったけど、そもそも目的は楽しむことではなく弓子の夫を探しにいくとゆうことなのだから、これくらいの距離感でないと成立しなかったのかなと思いました。だから二人でいるけど一人のような感覚になるのは寂しいようで実はいい関係なのかもしれない。
あと、このお話に出てくる宏基の親戚のシズとゆうサイコパス女が出てくるのですが、読んでて、うわ〜なんだこの女うぜぇ〜となるんですが最後え?は?ってなるようなサイコ劇場が急に繰り広げられます。でもこうゆう人はなぜこうゆう風になってしまったのかっていう残酷な理由があって、一言うぜぇだけでは片づけえられないなと思いました。